日本におけるジュラルミン史

ヒンデンブルク号爆発事故 - Wikipedia
{unak_} 同事故現場にたまたま居合わせた日本の住友金属の技術者が、ヒンデンブルク号の破片を拾得し(中略)
超々ジュラルミンを開発するきっかけとなった。
要出典だなあ。
超々ジュラルミンの開発は1936年、ヒンデンブルク号の事故は1937年。
ちょっと調べりゃ一瞬でデマだと分かる。
これはひどかったw
あ、ノートにも書いてあるね。

http://gatefold.blog33.fc2.com/blog-entry-79.html
{wakamu} title bot: 零戦(ゼロファイター)99の謎 渡部真一 | 歴史と時代小説 読みものログ
ヒンデンブルグ号じゃなくてツェッペリン号だという説が
関東電化工業株式会社 社史 創立前史 にもそうあるな
特定の機体っつーよりも、硬式飛行船のシリーズ、っつーか
飛行船による空襲か
ロンドンで撃墜されたツェッペリンはないような気がするんだが。
ツェッペリン飛行船一覧 - Wikipedia を眺めている
> なお、第一次世界大戦においては、ツェッペリン飛行船は119隻建造されて、偵察目的のほか、英国に対する長距離爆撃にも使用された。しかし、戦術的に有効な打撃を与えることはなく、主に空を舞う威圧的な飛行船を見せて敵国の市民の戦意を削ぐ心理的な効果を狙ったものであった。
フランスには落ちてるからそれかねえ。
いずれにせよ眉唾
攻撃はした、っつーことは
冶金屋が分析するに十分な量の破片ぐらい落ちてきていても、ってぐらいはあるんでない、とか

テムズに落ちたやつがいるようだ。
ちょっと信憑性が出てきた。
ひんでんぶるぐのきじはへんしゅうした
LZ48
テムズに落ちたやつですね
ちうか1936年だともう極秘でもないんじゃないかと言う
うん。
ん、ツェッペリン号のジュラルミン採用から今年で100年ですね
おめでとう
おめでとう
おめでとう
てか、飛行船の時代って結構あったんだな
飛行機とかワロス
という時代だったのです。
あんな鉄の塊がwうくわけww
大西洋横断してみろやwww
鉄の塊ならよかったけど、布の塊っていう。
いや、当時は、飛行機はまだ非金属でしょう
とうじっていつ
硬式飛行船は、塊じゃないけど
飛行船の時代。
1925年+-10
零戦以前は木?
木も結構使われたようですね。
北の国では今でも現役だそうですが
もうちょっと前に、日本軍の全金属機が
七試だっけかな?
96式っすね。
名無し
ああ、試験機なら
もうちょっと前にあるんじゃないかと思うが
七試がどうだったかは知らない。
陸軍の92式があるか?
海軍制式だと96が最初、っぽいですね
そしてあれだ、木で作った飛行機というと、デ・ハビランド モスキート - Wikipedia とか
残念ながら、チャーチルの『第二次世界大戦』には出てこなかった。
http://www.spp.co.jp/history/index.html
{wakamu} title bot: 住友精密工業
大正 5年 (1916) 住友伸銅所でジュラルミンの研究を開始
http://www.b-b.ne.jp/kaigun/cgi-bin/tree/data/1213.res
「日本でのジュラルミン製造の始まりは、山下誠一機関少佐が第一次世界大戦中イギリスで撃墜された
ドイツの飛行船「ツェッペリン」の破片をイギリス海軍省から貰い受け、住友伸銅所で分析、大正八年に完成したのが最初といわれます
個人名北
これはリアリティあるな。
七試が全ジュラルミン製ってことも書いてあるですね。
大阪朝日新聞 1917.6.1(大正6) 最近欧洲の航空機 山下機関少佐談
すごいのが出てきた
おおお
確かにその時期に渡欧して、航空関係の情報をどっちゃりもって帰ってきてる
なるほどー
{unak_} 航空機の軍事的価値は益々重要視せられ目下の状況は航空機の効果の程度を云々するの時機を過ぎ航空機の援助なく軍事的活動は絶対に不可能と認められつつあり
大正6年は、ええと
1917年か。
今年で大正101年ですよ