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観察日記 2011-05-27

%ruby

現実と言語の汚れた関係

@ksmakoto 表現したい対象があいまいなものであるならば、あいまいな用語を使うほうが正確な表現である、という知見
@unak @ksmakoto なんかどっかで聞いたような、と思ったら、Perlか!
うささん、あいまいなことを、っていう話、
Perlの何?
ああ
現実はむちゃくなものであるので、むちゃくちゃな言語を使う方が的確に処理できる、という知見
Larry Wallの言だっけ
です。
http://www.oreilly.co.jp/BOOK/osp/OpenSource_Web_Version/chapter10/chapter10.html
{_ocha_} (AutoCheck): 努力、忍耐、謙遜 [AR]
「人類の言語が複雑なのは、それが現実を扱わざるを得ないためである」
http://oldtype.sumibi.org/show-plain/perl.TMTOWTDI%E3%81%AE%E8%AC%8E%E3%82%92%E6%8E%A2%E3%82%8B
ソースは同じところからのようだ
というか本のタイトルちゃんと書いてあった。それですね
民法の授業でも同旨のことを習った気もする
人類の言語は、ってのは受動的だけど
Perlを、ってのは能動的だな。
まあ、かっこいいよなlwall
Rubyってのはまぁその辺アンチテーゼなようなそうでもないような
けっこうそうだと思うよ。
だからってそこまでクジラのはらわたにせんでもええやん
ということだと思う。
その辺はmatzに語らせると多分長い。
単純なものの組合せで複雑なものを表現する、という人類の叡智が
組み合わせは爆発だ!
爆発してる現実を対象にしてるんだから、と逃げよう

勉強して勉強して勉強しろ

勉強して勉強して勉強しろ
と、レーニンが言ったとオシムが言っているのだが、
ずっと探してるのだが未だに出展が見つからない。
そこまで伝聞じゃもう作り話にしか思えない
オシムが誰かにデマを吹き込まれたに違いない。
とは思っている。
きっと小学校の先生とかだな。
しかし
現代だと
* レーニンを知らない
* 知ってても偉人扱いじゃない
のダブルコンボで言葉に重みがないという...
岡田真澄そっくりなのはスターリンのほうだっけ
です。
それではレーニンの事跡を見てみましょう。
曽祖父は解放奴隷
父は高名な物理学者でその功績により貴族
逆だけど全然違和感ないな http://blog-imgs-31.fc2.com/p/o/w/powerfulxhybrid/8f3eae28.jpg
まっとうな実力でわずか2代でなりあがった家系なんですね。
学校(ロシアの制度はよくわからないが中等教育機関)を全学年全教科首席
うそっぽい。
成り上がり貴族というと2パターンあって
(1) 必要以上に自分の出身階層を見下す
(2) 必要以上に身分制度に反感を抱く
ってのがよく見られるんだけど、レーニン一家は父親がどう思っていたのかはともかく兄弟は全員革命家に
若いインテリが革命に走るのもまあよくあるパターンだな。
逮捕されてシベリア送り
数年で刑期が終わって出獄、スイスへ亡命
第一次大戦末、ロシア革命の際にドイツ政府(ロシアと交戦中)の手引きで帰国
革命政府内の争いでいったんフィンランドに逃れるが、適当に立場を変えるフリをして帰国、即時武装蜂起を主張して全件掌握
ドイツさんありがとう、ということでドイツと単独講和
んなことするから暗殺されそうになったので、お返しに適当に抽出された右派数百人を処刑
暗殺未遂事件の影響で徐々に健康が悪化し、スターリンの台頭を招くが、最終的にスターリンの解任を決断
... したけど脳卒中の発作が起きて喋れない書けないという状態に
その後死亡。
以上、偉大なる同志レーニンの生涯でした。
この単独講和が大変不評だったので、戦後ドイツ・ロシア双方が損をするようにポーランド奇跡の復活が決定
おめでとうポーランド
ま、20年少々でまた両国に分割されますけど :)
ポーランドが笑えるのは、あの歴史をもってして歴史の教科書にポーランド最大の失敗はチュートン騎士団の駐屯を許したこと、って書いて有る
と聞いた
どんだけ後悔してんだよ
駐屯騎士団
つっても、いちおう勝って臣下にしてたじゃん。
あれは後悔の対象なのか。
全会一致制度の議会を作ったことを後悔すべきだと思うね。
あれは笑える
なんでかよくわからんけど、黒死病があの辺では全然流行しなくて、
そのおかげもあって、14世紀から16世紀にかけては欧州最強国家だった。
制度上は貴族しか権利がないんだけど、貴族がやたらおおいからアメリカよりも有権者が多かったというアレっぷり
まとまるわけない
たぶんその辺の記憶がいろいろとポーランド人の意識をねじまげている。
あ、最強国家が終わったのはその議会ができたせいですw
穀倉地帯で輸出量がおおかったから30年戦争で人口減って輸出が滞るといきなり経済がおかしくなって身内で意見がまとまらなくなった
その時に強力な王権があったら危機を乗り越えられたかもしれませんねえ。
もともと地元の権利を丸呑みする前提でリトアニア併合してますからねぇ・・まあ元リトアニア領の大貴族どもは末期に軒並みロシアに寝返ってポーランド分割を加速させるわけだが
大洪水時代、大北方戦争、vsオスマン戦争のどれかで大勝していれば王権拡大のチャンスはあったはずだが・・・
ポーランド弱いよ
自慢じゃないがマジ弱い
エカチェリーナ2世<あたし、ポーランドはロシアの属領だと思うの
フリードリヒ大王<あー、ロシアに権利があるなら俺にも権利があるんじゃね?
マリア・テレジア<みんな、けんかはやめて! ここは仲良く私たち皆で分けるべきよ!
これはひどい
そもそもロマノフ王朝の成立はロシアがポーランド皇族を王に迎えると決めたのに王を送らなかったから独自選出したって流れなのだから空気読めてないとしか
しかし、今年表を見てて思ったのだが、
ポーランド分割の完了が1795年
ワルシャワ公国の建国が1807年
意外とあっさり生き返ってるんだな。形だけだけど。
なるほど
なお1812年にロシア・プロイセンの占領下に置かれ
1815年、ポーランド立憲王国としてめでたく再興
※ただし国王はロシア皇帝
ははは
はっきり言って詐欺だな。
詐欺ですねぇ
なおあんまり反抗的なので1832年には自治権を没収されて事実上ロシアの一部となりました。
お隣のプロイセンですらナポレオン戦争以降、立憲君主制に移行してるのに、おれらときたら・・・とかやっぱ思うのではないかにゃ
まあ、プロイセンさんの場合
俺らは軍事立国の人工国家だぜ! 軍隊は欧州最強! -> フランスのなりあがりにコテンパンにやっつけられたお...;; -> フランスみたいにやんないとダメだお! 改革するお!
というわけで、結局最強軍隊を維持したいだけということで一貫している。
まあ、プロイセンもいろいろおかしい。
チュートン騎士団は宗教騎士団としてずっと存続してきましたが
ある日のこと。当時の騎士団長
ぴこーん! ひらめいた! カトリックからプロテスタントに改宗して世俗国家宣言したらこの領土は子々孫々俺のもんじゃね?
というわけで騎士団廃止してプロイセン公国になりまーす
これはひどい
あのころはポーランドとの戦争がかんばしくなくて色々詰んでたんだよ
たぶん精神的にも・・・
しかし、と思ったのに既に老齢だったので子供ができなかった! 残念でした!
というわけでご親戚のブランデンブルク選帝侯が相続しました。やったねたえちゃん
まあその後も家系が分裂したりもしましたが、17世紀には同君連合で安定して
ポーランドが先に見たように弱体の一途をたどったのでめでたく独立して
18世紀に入ったところで時の選帝侯
ぴこーん! ブランデンブルク神聖ローマ帝国の一部だけど、プロイセン公国は独立国なんじゃね? 俺って王様名乗っていいんじゃね?
というわけでプロイセン王になりました^^
まあなんつーか偉大な発明ですね。
王号は復活はできても創出はできないというのが中世世界の暗黙のオキテだったのになぁ・・・
時はスペイン継承戦争
プロイセンが国だったのってダークエイジとかじゃんか。蛮族の族長はいても王はいなかったYO
ぷろいせん<皇帝陛下、今度ぼく王様になります。よろしくね
おーすとりあ<ふざけんなごるぁ
ぷろいせん<あー、そういうこというの? 戦争に援軍出さないよ?
あの駆け引きは見事としかいいようがない
おーすとりあ<... そうはいっても帝国内で王号をみとめるわけにはいかん!
ぷろいせん<えー、でもプロイセン自体は帝国の外だしぃ
制限つきとはいえ一度認めてしまえばあとはなし崩しよう。げへへ・・・
おーすとりあ<うう、しゃーない、じゃ、プロイセン王は認めないけど、「プロイセンにおける王」なら認める
いい話ですね^^
明らかに狙ってやってる感がハンパない
あの家は有能な君主も無能な君主もいたけど、
全方面にわたってダメダメな君主は運よく現れなかったし、
狙ってやったかどうかは微妙だけど、国家の方針はずっと首尾一貫していた。
立派なもんですね。
ですねえ
ホーエンツォレルン家がブランデンブルグげっとしたのがジギスムントの対ヴィッテルスバッハ政策というがわらえる
ホーエンツオレルン家もハプスブルグ家も、元をたどると飛躍のきっかけは皇帝ジギスムントにもらってる
ドイツ国民はもっとルクセンブルグに敬意を払うべき
ドイツにん<だって外国だし
(´・ω・`)
しかしプロイセンの失敗は
やりすぎたことだな。
いつもやりすぎてるから、どのやりすぎが失敗か決めるのが難しい
帝国創設
ぷろいせん<ぼくねー、欧州最強覇権国家になりたいんだー。
おーすとりあ<ふざけんな
ふらんす<ふざけんな
ぷろいせん<じゃあ、両方叩くね!
叩いてみた
どいつのみなさん<おー、あなたはドイツのリーダーですぅ。ドイツ統一して皇帝になってくださーい
ぷろいせん<あ、うーん、それはちょっと...
どいつのみなさん<いいからいいから
こうやってついその気になったのが運の尽き
それはちょっとって思ってたのはプロイセン王だけで、ビスマルクは確信犯てきに事前に仕込んでたとおもう
でなきゃ、パリで万歳三唱して戴冠なんて式典準備出来ないと思う
ビスマルクはそうだけど、そのビスマルクも、プロイセンの覇権を確立するために外国の干渉を受けない支配権を確保するためにドイツ統一を考えただけで
まさかその後の皇帝が「おれプロイセン王じゃなくてドイツ皇帝だし」とか言い出すとは思っていなかったと思われる。
というかその件でケンカして首切られてるし。
ドイツ皇帝ほしいってのは3月革命のころから言われてたから土壌があったということかな
ドイツ諸国民の中にはそういう期待がずっとあった
というか分裂国家だせえ
時のプロイセン国王は、えーと、割とダメ人間なんだけど、ホーエンツォルレン家の一員としては立派だった
ドイツ諸国民<ドイツ統一したいよ! 皇帝がほしいよ! ドイツ最強プロイセン王さま、僕らの皇帝になってね!
フリードリヒ・ヴィルヘルム4世<やだもん。ぼくちん、諸王の王ならいいけど、人民の皇帝はやだもん
さすがプロイセン王!
ドイツ皇帝の権利が確定してなかったからプロイセン王のほうが有利な可能性は高かったですし
そもそもぼくちん絶対的専制君主がいいのに、きみら憲法でぼくちんの権利制限する気でしょ!
まあなんつーか、全部ヴィルヘルム2世が悪い。
まとめるとそうかな
せめてビスマルクを罷免していなければ欧州大戦はなかったかもしれない。
まあむりかな。
しかし小崎さんもこの辺語れる人だったか。
RubyKaigiアンカンファレンス「中欧史勉強会」
これっぽっちもrubyと関係ねぇw
ポーランドの悲哀の歴史、プロイセンの悲哀の歴史、ロシア/ソ連の横暴、オーストリアさん何やってんですか、などを語り合います